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大塚稲荷古墳 おおつかいなりこふん (埼玉県神川町新里283・円墳・町指定) |
(いずれも2024.10撮影) |
梨の直売所が多いと思っていたら、神川町は梨の産地だった。八高線を渡って辿り着いた、大塚稲荷古墳の向かいは病院と薬局。通院するお年寄りが多く、静かな田園地帯にこの空間だけ賑わっている。 大塚稲荷古墳は町指定だけあって、案内板と標柱が設置されている。案内板の標題は青柳古墳群南塚原支群。73基が確認されているこの群集墳は、昭和44年と62年に半数ほどが調査された。6世紀から7世紀中ごろの築造で、ほとんどが径15〜20mの円墳。9号墳のみ、全長24mを超える前方後円墳であった。 『埼玉の古墳2』(さきたま史跡の博物館)では、青柳古墳群は11の支群から構成され、「南塚原支群は、…93基の古墳が確認され、うち墳丘が残存している古墳は約10基」という。10号墳からは銀象嵌の大刀のほか、3体以上の人骨が見つかっている。 さて、南塚原1号墳である大塚稲荷古墳は3段築成で径40m、高さ6.5mで、この支群では最大である。両袖型の横穴式石室は、全長が11.2m。 ただ、10月の声を聞いても大塚稲荷古墳には雑草が墳丘を被って稲荷社への道すらわからない。ヒガンバナはいいとして、困りもののセンダングサも通せんぼしている。果たして、お詣りする方はいるのだろうか。 大きな写真が大塚稲荷古墳で、地図は案内板から撮ったものを、大塚稲荷古墳の周辺を切り抜いて掲載した(黒丸は現存する古墳、アミ丸は調査古墳、白丸は古墳跡。黒丸は掲載の9基のみ)。 3枚組の小さな写真は盛上がりを確認できた古墳で、冬枯れの季節であればさらに見つけられるだろう。 上から順に、南塚原12号墳(薬局の斜め後ろ)、13号墳(消防団第3分団のフェンス越しに)、16号墳(大塚稲荷古墳の後ろ)である。なお、古墳名の同定についてはグーグルマップを利用したけど、大丈夫かな。 地図の上には中道遺跡が載っていて、これらの古墳を築造した人々が生活していたところである。 <参考HP> 神川町>大塚稲荷古墳(町指定史跡) |