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二ツ塚古墳 ふたつづかこふん
(太田市新田下江田町499、500・ 前方後円墳)
二ツ塚古墳(太田市)
(いずれも2021.2撮影)
上武国道から工場に向かうのか、静寂な矢抜神社に似つかわしくないトラックが何台も通る。(境内に駐車スペースは無い。)
矢抜は武士に関係がありそうで、この辺りは新田氏の一族である江田氏が治め、地名にも江田の文字を残している。こちらは新田「下」江田町の、矢抜神社にある二ツ塚古墳(木崎町5号古墳)。新田「中」江田町の、矢抜神社にあるのは矢抜神社古墳だ。
同名の神社がちかくに2つあって、混乱するかも知れない。境内の矢抜神社傳導板によれば、万治1年(1658年)に、また「矢抜神社の山椿」の案内板では南北朝の争乱後にと、時代はちがっても分社されたのは間違い無い。

山椿の案内板では二ツ塚古墳について、原形は失われても周濠の痕跡や、埴輪片や土器の出土に触れている。ただ、社殿の背後に残った盛上がりからは、前方後円墳とは思えない。『群馬県古墳総覧』では、全長50mほどで横穴式石室から玉や耳環が出土している。(写真は社殿の後方から撮ったもので、地面には椿の花が散っていた。)
そして、案内板がいう樹齢300〜400年の、老樹の山椿は見当たらず、世代交代がすすんでいるのだろう。