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野殿天王塚古墳 のどのてんのうづかこふん (安中市野殿569・円墳・市指定) |
(いずれも2021.10撮影) |
余談から。野殿天王塚古墳に向かう際、新島学園(中高一貫)の脇を通ったが、新島襄の精神を受け継ぐクリスチャンスクールだ。襄は安中藩士の家庭に生まれ、上毛かるたには「平和の使徒(つかい)新島襄」の1枚がある。 さて、野殿天王塚古墳である。別名、岩野谷村56号古墳は白い標柱が無ければ、通り過ぎてしまったかも知れない。木々が密生して、道から見ただけでは墳形を確認できなかった。 横穴式石室が開口しているのは事前にわかっていたので、左に進んでみると、竹が刈られていても行き止まりだった。標柱まで引き返し右に向かえば、念願の両袖型の石室である。 開口部のてまえには、むかしの立て札のような案内板が控えていた。しかも手書き、古墳とお似合いである。 昭和38年の、群大の調査によれば、畑作のため周辺部は削られ現状で円墳の径15m、高さ5.5m、築造は7世紀はじめである。羨道長6m、玄室長5.1m、安山岩の乱石積みで、この規模の古墳にしては立派な石室であった。 右の3枚組の写真は上から順に、案内板のある開口部、奥壁が2つの巨石からなる玄室、玄室から開口部を望んだ様子である。 <参考HP> 安中市>安中市内指定文化財の詳細 |