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大日塚古墳 だいにちづかこふん
(行方市沖洲・帆立貝式前方後円墳)
大日塚古墳(行方市)
(いずれも2024.12撮影)
わが家には庭に小さなちいさな畑があって、ネコが荒らさないよう見張っているのは、猿埴輪のレプリカ(左上の写真)。猿の埴輪はとっても珍しく、実物は国の重文で東京国立博物館で会える。大日塚古墳(行方市)なので、猿埴輪が出土した古墳は石室も開口しているし、ぜひ見学したかった。湾曲した道なりに大日塚古墳はあって、鞍部あたりから、木々が乱立し落ち葉の敷き詰められた後円部の墳丘を上ったが、踏み跡すら無い。(葉を落とさない木も多く、墳形が分かるように撮影するのは難しい。)
多少のアルバイトのおかげで、南向きに開口する石室は容易く見つかった。筑波山系の板石で造った横穴式石室である。

案内板は石室の側にあって、立てたのは玉造郷土文化研究会。玉造町は平成17年に合併して、行方市(なめがたし)になっている。
案内板では墳長40m、後円部径30m、前方部幅10mで、高さは後円部6m、前方部3m。前方部の長さは10mと短く、前方後円墳といっても帆立貝型だろう。6世紀中ごろの築造。
平成27年の発掘調査では、新たに完全な形の人物埴輪3体のほか家形埴輪も見つかっている。

大日塚という古墳名は大日信仰から名付けられて、祠もあったが明治初期に撤去されている。石室下方の石碑には猿田彦大~と刻まれ、裏に大正の文字があった。この辺りで、庚申講の集まりがあったのだろうか。大日信仰と庚申信仰、祈りの場として古墳がある。
そして、石室などの撮影を終え、上りと反対の東側に下ったら幾分、緩やかな傾斜で、ちかくの耕作地では野焼きの煙が上がっていた。
<参考文献>
『茨城県行方市大日塚古墳発掘調査報告』
(明治大学人文科学研究所、2018.7)