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黒田古墳群 くろだこふんぐん
(深谷市黒田上川端・帆立貝形1基、円墳3基・2号墳と12号墳市指定)

黒田古墳群は、荒川の河岸段丘に造られた後期古墳群だ。30基を超える古墳があったが、昭和49年に、ほ場整備事業、昭和52年に関越自動車道の花園インター設置のために、それぞれ13基、3基の発掘調査がなされた。
そして、いま墳丘を見られるのはたった4基だ。大雑把にいえば残りの古墳は、耕作地とインターのために多くが消滅したわけだ。
では、作成した写真付き地図をもとに、黒田古墳群で墳丘が現存している4基を、訪問した順に触れたい。
黒田古墳群(熊谷市)
(いずれも2018.11撮影)
地図は国土地理院の電子地形図に写真を付加し、文字を追記)
19号墳は径15mの円墳で、市の指定が無くても墳頂に神社があるおかげか消滅していない。また、関越の東側にあって宅地に近く、ほ場整備にも掛からなかったのだろう。裾や神社の土台を、自然石(ちかくの荒川の川原石か)で固めている。

12号墳は径15mの円墳で、葺石なのか多くの石が墳丘を被っている。そして、お茶の木(かな?)が何本も墳丘に植えられている。標柱には「黒田古墳群10号墳」と書かれていて、数え方の基準がわからない。そして、うらは豚舎らしいが、もうブタさんはいない。

2号墳は全長41mの帆立貝形古墳で、見学日にはトラクターが晩秋の日射しを浴びて周囲の畑を耕していた。そして、「石+お茶の木」の組合せは12号墳と同じだ。ここには唯一、案内板があっても昭和60年の日付では文字も掠れてほとんど読めない。

16号墳は径16mの円墳で、2号墳から南へ100mほどの近さににある(墳頂からはお互いの古墳がよく見える)。ただ、大成ロテック花園合材工場の入口脇に盛り上がりがあるだけなので、意識していなければ古墳とはわからない。