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愛宕山古墳 あたごやまこふん (鴻巣市下忍3146・円墳?・市指定) |
(いずれも2018.3撮影) |
住所にある「下忍」は「げにん」ではなくて、「しもおし」と読む。 (この辺りも忍藩の領地だった。)新幹線の高架ちかくで時折、独特の走行音がする。上の写真は愛宕神社で、手前が拝殿、奧が愛宕山古墳上の本殿、右端に一部見える建物は下忍農村センターである。右下の写真はおとなりの児童公園から真後ろを撮った。 境内の案内板は、つぎのように述べていた。 「…後世において盛土したものと思われ、墳丘は大きく変形しているため原形がはっきりしない。埴輪などの出土遺物は認められないが、現況から古墳時代後期(六〜七世紀)の築造と推定される。周辺では、明用の三島神社古墳(前方後円墳)と下忍の宝養寺古墳が以前から古墳として知られている。」 市指定の史跡としては、よくわからない文章だ。遺物はなく原形がはっきりしない現況で、古墳時代後期といえるの? また、三島神社古墳と宝養寺古墳(以下に説明)は古墳であって、この愛宕山古墳は盛土した塚なの? なお、『吹上町史』(昭和55年)では、中腹以上の墳土が新しいなま土と認め、前方後円墳の前方部という見方も紹介して、調査の必要性を説いている。 宝養寺古墳 ほうようじこふん(鴻巣市下忍4573・方墳?) 愛宕山古墳のある愛宕神社から宝養寺はちかくて、南東400mほどにある。静謐な雰囲気に、コブシの白い花が似合っていた。 お寺なので、墓地があるのは当たり前だ。が、古墳が一面、お墓で埋め尽くされているため、今回は安眠を妨げないよう撮影を断念した(古墳も古代人のお墓ではあるが…)。そして、案内板でも撮ろうにも、見当たらない。写真は宝養寺の入口で、左右にあった石が石室の材料であればと素人考えで思った。 『吹上町史』には『下忍村史』(昭和26年)からの引用が掲載されて、宝養寺古墳は前方後円墳と思われ、長さ45m、幅38m、高さ3.6mが現存しているという。 |