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権現山古墳群 ごんげんやまこふんぐん (伊勢崎市豊城町・円墳) |
(いずれも2020.8撮影。地図は国土地理院の電子地形図に文字を追記) |
参拝者駐車場のそば、蓮(はす)神社の社殿へ向かう階段を取り敢えず上る。周囲を見渡しても、古墳らしき盛上がりは無い。 赤城山の流れ山には標高91mの標識があっても、群馬県でもっとも低い山。ちかくにある「八寸(はちす)権現山の宝塔」は、南北朝時代のものだ(下段、左の写真)。 権現山遺跡の案内板は、『岩宿の発見』の相澤忠洋さんが昭和25年に崖面から4万年まえの石器を採取し、そして中腹から麓にかけては6世紀ころに築造された径20mほどの円墳30基が存在し、うち4基は昭和45年に発掘調査されたと述べる。 麓にかけて古墳群があるというので、道路まで戻って探したら権現山の東側に、豊城郷土史会が建てた小さな白い標柱を見つけた(上段の写真、右中央)。 「石室の構造がL字状をして珍らしい古墳」のようで、別面に「先人の 残せしL型 ゆめ古墳」とも書かれていた。権現山2号墳である。 『群馬の古墳物語<上巻>』によれば、この地方は往時、東枕で埋葬する習慣があって、羨道は南向きでも玄室は東に向けて、L字状に曲げてつくられたという。 この辺りには小さな盛上がりがいくつかあり、石材らしきを意図的?に並べているところがL字状石室なのだろうか(下段右の写真)。 <参考HP> 伊勢崎市>権現山遺跡 |