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足利公園古墳群 あしかがこうえんこふんぐん
足利市緑町1・前方後円墳1基と円墳9基・3基のみ市指定)
足利公園古墳群の案内図(足利市)
(いずれも2018.11撮影)
足利公園を訪れたら、子づれのお母さんたちが集まっていた。
西の11号墳から1号墳へ向けて順に見学したが(案内板から撮った上の案内図を参照)、記述は気になった4基を1号墳から。

足利公園古墳群1号墳、2号墳、3号墳、5号墳(足利市)1号墳には、案内板がある。横穴式石室の奧壁はチャートの2枚重ねで、側壁は細長い川原石を小口積みにしたものだ。明治19年に坪井正五郎によって日本ではじめて古墳の科学的な調査がされている。市の指定は、坪井が発掘した1〜3号墳である。
2号墳は円墳らしいまん丸とした形がよく、思わず墳頂に登りたくなる。そして、石室の一部かと思われる石が露出していた。左の写真は白山古墳(行田市)のものと、よく似ている。
つぎに、3号墳。案内板によればこの3号墳は平成5年度に発掘調査されて、全長34mの前方後円墳と判明した。明治19年の調査では杏葉(ぎょうよう、装飾性の馬具)も出土している。横穴式石室の奧壁はチャートの2枚重ねで、側壁もチャートの割石を積んだものだ。
最後に、市指定ではない5号墳。横穴式石室が開口している。案内板が無く詳細はわからないが、石室の天井石を支えるために石柱が新たに2本添えられていた。奧壁はチャートの2枚重ね、側壁は自然石とチャートの割石の混合である。ちかくの標柱には、「史跡 足利公園古墳」と書かれていた。

市指定と指定外では整備に格差があるのかな、一括して指定にすればよいのにと思いながら見学を終えた。帰るときには、お母さんたちは去り、なぜかテントが1張りあった。
<追記>
後日、『古墳の話』(小林行雄著)という、古い岩波新書を読んでいたら、2号墳の横穴式石室から出た141個の歯を調べて、成人12ないし15人と小児2人が埋葬されたと述べられていた。かなりの数である。
<参考HP>
足利市>足利公園古墳