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赤岩堂山古墳 あかいわどうやまこふん (群馬県千代田町赤岩・前方後円墳) |
(いずれも2020.4撮影) |
光恩寺は真言宗の古刹で4月になっても満開の桜に彩られているが、境内には誰一人いない。そして、赤岩堂山古墳が赤い阿弥陀堂の後ろに隠れるように佇んでいた。 前方部に初代館林城主、赤井照光の墓碑と五輪塔(下段の写真右)、後円部には鐘桜が(同左)がある。上段の写真は、右手前の前方部から左奥の後円部を望んでいて、墳形がわかるように阿弥陀堂とは反対側の裾に下りて撮った。 案内板は道路沿いに立てられ、ちかくにある階段から後円部に上れるようになっていた。後円部は道路によって少しばかり削られ、前方部には墓地が迫っていた。 『群馬県古墳総覧』(群馬県教育委員会)で赤岩堂山古墳を見つけづらいのは、桜山古墳群1号墳として掲載されているからだ。 案内板では全長80m(総覧では90m)の前方後円墳で、築造は古墳時代(4〜7世紀)と推定されているという。(古墳が古墳時代に造られたなんて、笑ってしまった。)そして、横穴式石室は江戸期に開口され、副葬品の直刀などが光恩寺に保存されている。(石室は『群馬の古墳物語<上巻>』によれば、後円部にある2つの階段の間、凹んでいるところにあったらしい。) 境内には、地蔵菩薩画像板碑(右上の写真、部分)があって、見学させていただいた。板碑はお地蔵さんが見えにくいのもそのはずで、鎌倉時代の建立だ。 また、荻野吟子生家長屋門(右下の写真)もある。吟子はいまの熊谷市で生まれたので、長屋門は利根川を渡って移築されたのだろう。 <参考HP> 千代田町>千代田町の文化財 |