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菅谷館跡 すがややかたあと
埼玉県嵐山町菅谷757・平城・国指定)
菅谷館跡(嵐山町)

菅谷館跡・本郭(嵐山町) 菅谷館跡・畠山重忠像(嵐山町)
(いずれも2018.4撮影)
青葉薫る菅谷館跡を、GW期間中に訪れた。駐車場は車で溢れていたが、嵐山史跡の博物館を見学する者は意外に少なかった。JAFカードを持参したおかげで、入館料100円が60円に。

案内板には、「菅谷館跡は、鎌倉時代の有力御家人である畠山重忠が文治2年(1187ママ)までには住居していたといわれる中世の重要な遺跡です。元久2年(1205)、武蔵国二俣川の合戦の際、重忠はこの館から出発したことが鎌倉幕府の記録「吾妻鏡」に書かれています。…現在の遺構は、本郭(左下の写真)、二ノ郭、三ノ郭などと、それらを防御する土塁、空堀などからなり、このような姿になったのは、戦国時代のことと考えられます」と述べられている。
いまの菅谷館跡は戦国時代に築城された菅谷城で、重忠を偲ばせるのは二ノ郭土塁上の、コンクリート製の像(右下の写真)だけだ。
<参考HP>
嵐山町>国指定史跡 菅谷館跡 埼玉県立嵐山史跡の博物館>菅谷館跡