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水戸城 みとじょう
(水戸市三の丸・平山城・県指定)
水戸城大手門(水戸市)
(いずれも2025.1撮影)
常陸国水戸城絵図水戸城は水戸徳川家(35万石)のお城で、石垣は無いが壮大な堀に囲まれていた。幕末から明治に掛けて多くの建物を失い、三階櫓も昭和20年の空襲で焼失した。
水戸城は鎌倉時代に馬場資幹(すけもと)が城館を構えたのが始まり。慶長年間に、城主の佐竹氏が大手門を建てたが、明治期に解体されている。
昔むかし訪れた、あやふやな記憶では弘道館と城跡の小学校しか浮かばないので、今回は大手門から水戸学の道を薬医門まで歩いてみた。
 
水戸城(水戸市)弘道館と大手門に挟まれた車道沿いには駐車場(無料)があって、トイレも併設されていた。大手橋を渡ると、新築なった大手門の大きさに圧倒される。門の手前には徳川斉昭の像、小振りで好感が持てた。
門を潜って間もなく、彰考館跡の祈念碑がある。二代藩主の光圀がはじめた『大日本史』の編集が行われたところだ。このちかくで、二の丸展示館の案内の方からお話を伺った。
水戸学の道沿いには幼稚園から高校までがあって、学校ごとに立派な門を構えている。しばらくしたら、巨樹の大シイが見えてきた。戦国時代から水戸城の歴史を見守り、いまなお樹勢は旺盛だ。
そして、水郡線の線路を下に見る大城橋を渡れば本丸跡で、佐竹氏時代に建てられた薬医門にようやく辿り着いた。改修されたとはいえ、往時から現存する唯一の門である。
側のテニスコートでは、高校生たちが練習に励んでいた。薬医門は水戸一高の敷地内にあって、見学はここまで許されている。
駐車場に戻ったら、札幌や長野ナンバーの車も駐まっていた。間もなく大寒なのに、人気の水戸城であった。

最後に、写真の説明をしておこう。上の大きな写真は大手門。右下の小さな写真は上から順に、「常陸国水戸城絵図」(大手門まえの案内板から)。つぎは彰考館跡の祈念碑を挟んで左は水戸二中の門、右は二の丸展示館。そして、薬医門まえの、水郡線が通る堀跡。最後の2枚は左が大シイ、右が薬医門である。
<参考HP>
水戸市教育委員会>水戸城跡 水戸市教育委員会>復元・水戸城大手門
茨城県教育委員会>水戸城跡(塁及び濠) 茨城県教育委員会>旧水戸城薬医門