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深谷城 ふかやじょう (深谷市本住町・平城) |
(いずれも2024.10撮影) |
10月に入っているのにムシムシして湿度は高く、低湿地に築かれた平城らしい。深谷城址公園の広場を撮っていても、蚊が腕に止まるほどである。 ただ、周囲を見渡しても城跡らしき風景には出会えない。広場には三角錐のモニュメントがあるが、これは石垣を模したものかな(下段の写真右)。 歩き回っていたら、句会などに利用される掃部寮(かもんりょう)を挟んだ入口広場に、松を植えた石垣があって、城跡らしい雰囲気を醸し出していた(上段の写真)。そして、コミュニティバス「くるりん」の深谷城址公園(南)の停留所標識には、ふっかちゃんが描かれていた。 石垣ちかくの案内板を読めば、次のとおりで、縄張り図はこの案内板から撮った。 深谷城は康正2年(1456年)、上杉房憲(ふさのり)が古河公方の侵攻に備え築城する。秀吉の小田原征伐で、天正18年(1590年)に開城するまで、深谷上杉氏の居城だった。それから家康の関東入国になるが、寛永11年(1634年)廃城となっている。 案内板では最後に「富士浅間神社(智形神社)の社殿を巡る池と水路に、往時の姿をとどめるのみである」と述べられていた。なので、石垣は遺構ではなく復元されたものだった。 <参考HP> 深谷市>深谷市の歴史と文化財>史跡 |