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影隠地蔵・源義高終焉地 かげかくしじぞう・みなもとのよしたかしゅうえんち 源義高の名前は、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で知られた方も多いだろう。木曽義仲の嫡子で、木曽義高といわれる。また、清水冠者(しみずのかじゃ)とも名乗っていた。冠者とは、元服まもない若者である。 そして、義仲が討たれたので、人質になっていた義高は鎌倉を脱出したが、頼朝に追っ手を差し向けられ入間河原で討たれてしまう。12歳の若さであった。 <参考HP> 狭山市ゆかりの武将・清水冠者義高 影隠地蔵(狭山市柏原204-1・市指定) |
(いずれも2024.4撮影) |
奥州道交差点ちかくにあって、駐車スペースを探すのに苦労する。そして、歩道沿いには鎌倉街道の案内板や信濃坂の標柱もあって由緒ありそうな雰囲気が漂っている。 影隠地蔵と呼ばれるのは、源義高が頼朝の追っ手から逃れるため地蔵の後ろに隠れたためだといわれる。廃仏毀釈で木像の地蔵が処分されたのか、明治7年以降は石の地蔵になっている。人が隠れるには小さいと思っていたら、木像の時代には地蔵堂に安置されていたと案内板に述べられていた。 影隠地蔵によって難を逃れた義高であるが、入間川で追い詰められてしまう。 <参考HP> 狭山市>影隠地蔵 源義高終焉地(狭山市入間川3-35 清水八幡宮・市指定) |
西の入間川、東の国道16号に挟まれた清水八幡宮の、イチョウの大木はまだ芽吹いていない。駐車スペースはわずかにある。 ここが源義高の終焉地だと大きな看板が告げて、国道の喧噪はかき消され厳かな境内に。鳥居の扁額は清水八幡宮と認められ、清水冠者からの名付けであろうか。 案内板では、政子と娘の大姫が婿の義高を討った藤内光澄(とうないみつずみ)を打ち首にし、義高をまつるために社を建立したが、いまでは場所がはっきりしないという。 なお、義高の墓は狭山市のHPではこの清水八幡宮で、常楽寺(鎌倉市)にあるのは首塚らしい。 <参考HP> 狭山市>清水八幡宮 |