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徳川慶喜巣鴨屋敷跡地 
とくがわよしのぶすがもやしきあとち

(東京都豊島区巣鴨1-18)
徳川慶喜巣鴨屋敷跡地(東京都豊島区)(いずれも2019.1撮影) 最後の将軍、徳川慶喜。静岡から移り住んだ証の碑が、巣鴨駅からほど近い白山通りの歩道に立っている。
年が明けたのに行き交う人は皆忙しそうで、碑を見て、案内板を読む人はまずいない。

案内板によれば、慶喜の在住は明治34年12月までの4年間で、水戸藩の出らしく庭の奧が梅林で「ケイキさんの梅屋敷」と親しまれたようだ。そして、いまの山手線の敷設を知り、騒音を嫌って転居したという。地図は案内板から撮った。
はじめ巣鴨から登城するのは大変と考えていたら、明治も30年代の話しだったとは。
慶喜は当時としては長寿で、大正時代まで存命していた。