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山王廃寺跡 さんのうはいじあと (前橋市総社町総社2408・国指定) |
(放光寺瓦2020.2、ほか2019.4撮影) |
山王廃寺跡は東日本最古の本格的な寺院跡で、前橋市総社歴史資料館から西南に1キロほど。鳥居をくぐってみれば、国指定史跡の現在の狭隘さに驚かされた。時を同じくして自転車で見学に来られていた男性も、狭いと同感されていた。 寺院跡なのに、なぜか鳥居があって扁額には日枝神社とある。総社地区史跡愛存会が掲げた日枝神社(山王)という案内板の由緒では「当社は天台宗の守護神として近江国日吉神(山王権現)を勧請したものである。往時この地に昌楽寺と称する天台宗寺院があったからであろう。…」と。日吉は「ひえ」と読む。 昭和56年の調査で、放光寺とヘラ書きされた瓦が見つかっている。左の写真で、前橋市総社歴史資料館で撮影した。 上野三碑(こうずけさんぴ)のひとつ、山上碑(やまのうえひ)には放光寺の僧、長利(ちょうり)が母のために建てたと刻まれていて、山王廃寺がその放光寺だとわかったわけである。 山王廃寺という寺院名は仮の名称で、放光寺はその後、荒廃したので昌楽寺は後世の話しかな。 神社の内外には史跡愛存会以外の案内板がいくつかあって、説明をまとめれば以下のようになる。 大正10年、偶然に塔心礎が発見され、古い時期の寺院跡とわかったという(創建は出土した瓦などから7世紀末の白鳳期)。 塔心礎の上には心柱が立っていて、五重塔の基礎部分にあたるという。 内径96センチの根巻石は五重塔の心柱の根元を、蓮の花びらの形で装飾したものだ。 そして、防火のまじないとして屋根を飾る石製鴟尾(しび)が特筆される。鴟尾とは、火災のときには水を吹いて雨を降らすという中国伝来の架空の動物だ。お城のシャチホコみたいなものかな。 ほとんどの鴟尾は瓦製で、現存する石製鴟尾は山王廃寺の2例と大寺廃寺(鳥取県)の1例だけだ。山王廃寺跡には1例しか無く、後日の調べでもう1例は個人蔵とわかった。 境内にはほかに礎石らしきものや、庚申塔をはじめ18基の民間信仰遺産がある。図については案内板から撮った。 以下、余談。山王廃寺跡を見学するまえに、ちかくの都丸高親翁碑を訪れた。翁は幕末から明治の名主で、寺子屋教育にも尽力したという。 筆子塚として建立の碑を後に、山王廃寺跡に向かう際には「名主さま、然もありなん」という立派なお屋敷があった。筆子塚とは、寺子屋の筆子(教え子)が師のために建てた碑。 <参考HP> 前橋市総社歴史資料館>幻の白鳳寺院「山王廃寺」 |