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堀兼の井 ほりがねのい (狭山市堀兼2220・県指定) |
(いずれも2019.5撮影) |
静寂な堀兼神社(富士浅間社)の境内は広くて時折、参拝者の姿を見かける。 随身門と二神像は市指定で、社殿には円墳のような盛り土に付けられた階段を上る。右の写真は、鳥居→随身門→階段だ。 案内板にあった社伝によれば、日本武尊が蝦夷征伐の帰りに、日照りに苦しんでいる民を見かねて富士山に祈願したら清水が湧き出したという。創建された堀兼神社の祭神は、木花咲耶姫命である。 定家の父の、藤原俊成(1114〜1204)が詠んだ歌に、「武蔵野の 堀兼の井も あるものを うれしく水の 近づきにけり」(千載集)がある。堀兼の井の名乗りは各地からあって、案内板もこの井戸が俊成が読んだものかはわからないとしている。 直径7.2m、深さ1.9m。当時は竪掘りができないので、七曲井のように、すり鉢状になっているはずだ。ただ、見学日には井戸は枯れ葉や枝で形状がわからず、陽光が木陰のまだら模様をつくって見えにくかった。写真ではわからないが、井戸の中央に石組みの一部?は確認できた。 なお、近くに昭和8年竣工と刻まれた井戸もあるので、お間違えの無いように。 <参考HP> 狭山市>堀兼之井 |