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権八地蔵 ごんぱちじぞう
『道連れ彦輔 居直り道中』(逢坂剛著)に権八地蔵の話があり、別件で熊谷市を訪れる際に立ち寄った。
権八地蔵は旧吹上町(鴻巣市)にもあって、いずれも旧中山道沿いのお堂に安置されている。右手に錫杖、左手に如意宝珠の立ち姿も同じである。
権八地蔵(鴻巣市荊原・市指定)
権八地蔵(鴻巣市) (勝願寺2022.7、ほか2022.6撮影)
お堂脇の案内板は、権八地蔵の由来を述べている。「二十三夜 勢至菩薩」と刻まれた石碑(写真左)と、新しい二宮尊徳像もあるが、権八地蔵との関係は無さそうだ。
ちかくには榎戸堰公園があって、元荒川沿いのサクラを愛でに花見客が押し寄せる。

久下権八地蔵(熊谷市久下・市指定)
久下権八地蔵(熊谷市)地名の久下(くげ)が頭に付く。案内板は無いが、標柱の片面には簡単な説明があって、地蔵の造立は元禄11年(1698年)。お堂のまえでは小さな地蔵が大勢で迎えてくれたが、なぜか眼鏡が置いてあった。
なお、17号から向かったら、久下橋を渡ってしまわないよう、ご注意願います。

終わりに、この地蔵の逸話を。元鳥取藩士の平井権八は路銀に困り果て、久下の堤で出会った商人を殺害し金を奪った。周りを見渡せば、地蔵が佇んでいたので「誰にも言わないで」と頼んだら、「我は言わぬが、汝こそ言うな」と地蔵が口を利いたという。物言い地蔵だ。その後、権八は捕らえられて延宝7年(1679年)、鈴ヶ森刑場で磔に。
歌舞伎「鈴ヶ森」には平井権八が白井権八として登場して、幡随院長兵衛が「お若えの、お待ちなせー」と声を掛けた相手が権八である。ほかに、「其小唄夢廓(そのこうたゆめもよしわら)」という演目もある。
<参考HP>
熊谷デジタルミュージアム>市指定有形民俗文化財「権八地蔵」とは何ですか?
<追記>
勝願寺(しょうがんじ、鴻巣市本町)にも物言い地蔵があるとネットで報告されていたので後日、鴻巣駅ちかくの埼玉養蜂でハチミツを求めた際、立ち寄った。
柔和なお顔で、鐘楼のまえに佇んでいるが、お堂は無く案内板も見当たらない。そして、舟形光背に「延宝元」と刻まれているのは確認できた。
延宝元年だとすれば、1673年で久下権八地蔵より古く、年代的にも合う。ただ、お寺の境内で事件を起こすかな?